朝青龍


貴乃花は、偉い。と思ったとたん、朝青龍が引退したニュースが飛び込んできた。日本の国技、お相撲の話は続く。朝青龍ってなんだったんだろう。
会見を見ていて、ひどく不思議な気分になった。いくら泣きべその私とはいえ、朝青龍が会見で泣いたからって、武蔵丸と戦って勝った一戦が忘れられないと言って涙を見せたからって、一緒に泣くことはなかったが、白鵬の涙にはものすごく感じるものがあった。べつに朝青龍×白鵬の立会いのにらみ合いが素敵だったからではない。モンゴルからきて、日本で苦労し、ともに横綱に上り詰めた2人の距離、野心ゆえの孤独や、さまざまな本当の気持ちが入り混じっていた。戦友に別れを宣言されたときの悲しい、悔しい涙だったからだ。
それにしても朝青龍は、どうみてもわが国の国技大相撲、日本という国に収まりきらないスケールの大きな人だった。優勝を決めたときの生まれたばかりの赤ちゃんみたいな笑顔も、戦意にみち怒ったときのあの顔も、純粋すぎて正直すぎて、TVからはみだしそうだった。そう、ストレスもはみ出してしまった。だからお酒を飲みすぎ、わけがわからなくなる。あんなに日本が好きで相撲が好きで、日本語も上手になり、なんでこんなことにならなくちゃならなかったか。周囲が、どこまでもとんちんかんな的外れなサポートしかできなかったからなのではないか。朝青龍が朝青龍であるためには、莫大な愛情の消費が必要だったように思えてならない。朝青龍は本当は何と戦っていたのか、知っている人、想像できる人が、彼の周囲にはいなかったのではないか。
私は白鵬の涙のわけがわかるような気がする。朝青龍に、相撲ごと日本ごと、見捨てられた気分である。


貴乃花は、偉い!


貴乃花は、偉い!
私は、実はお相撲大好き少女だった。祖母と一緒にTVでお相撲を見ていたからだと思う。北の富士×長谷川戦、その立会いの素敵だったこと。・・知ってる人しか知らない♪が、その2人の力士の立会いのとき、とくに時間いっぱい、の最後のにらみ合いときたら、格闘技の興奮、取り組み前のドキドキ、さらにもう一味何かを兼ね備えていた。決まり手の48手を、だれから頼まれたわけでもないのに丸暗記して、紙に書きだした。父にだけそれを見せたところ、仕事帰りにお相撲の雑誌を場所があるたびに買ってきてくれるようになった。“長谷川”がでてくると、こっそり切り抜いたりしていた。叔母連中からは、「美穂子ちゃんの趣味は渋い!・・・」と誉められた。ところが聖心女子学院の初等科、超お嬢さま学校に編入させられてからというもの(自分の意思で学校を選んだのではないところがなんだかなあ、である。決まり手は、母親の“見栄っ張り”)周り中、自分を殺している賢いお嬢様だらけの中、私はお相撲が好きだと、誰にも言えなくなった。このあたりから私の性格はかなり歪んでいったのだろう。それで、長い長い時間が過ぎ、私はミュージシャンの夢をあきらめられぬままコピーライターになり、自力で升席をゲット。叔母を招待して、初めてお相撲の本物を見た。力士がこどもを相手にしたり歌を歌ったりする慈善大相撲ではない、両国国技館の本場所である。真横を通るお相撲さんのきれいなこと。叔母たちとお酒を飲んでいたせいもあって、力士に触りたいと思ったほどだ。日本に生まれたことを感謝したことを記憶している。私が生で見たのは、まるでお花見みたいに華やかな若貴時代の大相撲だった。
 また時代はめぐり・・・貴乃花は普通の人の風貌になり、相撲界を変えようと理事選に立候補した。彼は相撲を見捨てない。一人でどうやって意見を言うのだろうと思うけれど、身体を張って、もう一度あの方たちのふところに飛び込む心意気というかその勇気には、安治川親方でなくとも、一票投じたい。貴乃花さん、腐ったみかんのそばにいたらだめ、同志とともに腐っていないみかんをさがして上手に身体張って下さい。私もがんばらなくちゃ。


時間よ、止まれ!


「みほちゃん、いつも走ってるね」

30歳を過ぎたくらいで、10年ぶりぐらいで再会したみえちゃんが、(私よりも走っていたようにも思うが)、そう言ったのを記憶している。みえちゃんは私より高い鼻と素敵な声の持ち主。友人でライバル(と思っていたのは私だけだったりする)。またそれから20年も過ぎて、「みほちゃん変わってないね、可愛い、まだ大丈夫よ、まだ止まれないんだね」そのコメントは、誉めている、どころか慰めだった。「まだ、」っていうのは悲しいし、じゃ「いつ」、だめになるの?時間の問題?「止まったら死んじゃう」それが回遊魚の宿命。私のことを回遊魚、とみえちゃんは言う。止まるときは死ぬとき、と。

そういえば、私は去年の1月3日から水泳を習っている。バタフライで格好良く泳ぎたい、そんな目標をもって地元のスポーツクラブで個人レッスンに挑んだ。「イルカ飛び」は爽快、想像以上にバタフライで飛ぶ瞬間は気持ちいい。それを指導するコーチが、実は大人気のコーチだった。茶飲み友達系、癒し系、と言おうか、相手次第で変幻自在なのだろう。私も夢中になって通ったが、3か月も経たないうちに、肩があがらなくなった。激痛が走った。四十肩、五十肩とかいう類。それでもバタフライのレッスンに行くのだから、私の根性も捨てたものではない。当然バタフライもクロールもできないので、そのコーチは、そんな生徒の私をもてあまし「もう無理して来ないでいいですよ、フラダンスでもはじめたらどうですか」とは言わないで、ごく自然に、水中平泳ぎ、足押しスピードアップ、あざらし泳法、を伝授。私が水中にもぐると、コーチはプールの底で、ごんどうくじらかあざらしか、とにかく海の中にいそうでいない生物に変身して、気持ちよさそうに私の前を泳いでいるのである。さすがだ。

別世界の水中は、闇の音も届かず、理不尽な現実を遠くへ追いやってくれる。

回遊魚みたいに、止まることさえ許されないのなら、たまには人間やめて、水中生物でいるのもいいかな、とも思わないでもない。

身体が冷えるまで、息が切れるまで、時間よ止まれ!


イビョンホンに似てるって!?


音楽と競馬は、似ている。

音楽、といっても一人で奏でるものではなくて、オーケストラやバンドと、

競馬のレースが似ている、といいレースを見たとき思ったものだ。

ときどきそれは大迫力で、渦の中にいるだけで、胸が痛く熱くなる。

馬はそれぞれ競って走るが、皆でレースを作っているのだ(騎手も!)。

感動的なレースは、ターフから心臓の鼓動のようなリズムが響き、その主役であるサラブレッドは、まるでピアノのように繊細に美しいのに、命をかけて走ることによって、極限まで生きていることを表現する。

北海道の牧場でウララをママにするための準備をさせに通い始めたある日、気がついたら私は札幌のとあるライブハウスで、若いミュージシャンたちに囲まれていた。あの場所に私を連れて行った人は、今、私の馬たちの世話をしてくれている人、Kさんという。

私の気持ちを180度変えてくれた人である。

私は人に言えないことばかりを抱え、やがてそれは怒りになり、心が「もののけ姫」のたたり神みたいにどす黒くなりつつあった。それでも応援してくれる人もいるし、息子もいるし、馬もいるし、犬もいるし、死ぬわけにいかなかったので、ひたすら自分自身と、闘い続けていたのだ。ひとたびバランスがとれなくなると、間違った相手にそれをぶつけていた。(そのぶつけられた相手はたまったもんじゃないけど)

私を札幌のライブハウスに連れて行ってくれたKさんは言った。

「そんなのと、一人で戦ってきたの?」

そう、そんなのと、一人で戦ってきた。

自分の心の中で、流氷が溶ける音が聞こえたような一言だった。「千と千尋の神隠し」で、みぎはやみがみこはくぬし@@@と龍の名前を千尋が言ったとき、龍(はく)からうろこがはがれたみたいな、あんな感じかもしれない。

そこに集まっていたミュージシャン、働きながらライブハウスでも歌ってる半プロたちは、アイルランドの詩人みたいに、心で歌を奏でる人ばかりだった。その中の一人が諭である。

笠井アナウンサーが私の事務所に!?もかなり驚いたけれど、今思えば諭とは、ものすごく運命的な出会いだった。

(私と諭は)「魂が古い同志です」とかなんとか言って、自分の母親と同じ年齢の私に、無防備にすべて(自分の音楽)をぶつけてくるが、そのパワーはさすが、北海道室蘭産。私の実の息子(中3)は何になるのやら・・、とりあえずは目指す都立に受かってくれ!だが、ウララはママになり、諭は間違いなく、ミュージシャンとして、歩んでゆく。荒削りで純粋、まだまだ伸びる、将来性満点の逸材である。ウララたちはKさんにすべて託している。まるでその代わりみたいに、あたりまえみたいな顔をして、私の傍にやってきたのが、諭なのである。


観覧車のいちばん高いところ


 

仕事をするのに、年齢は関係ない。

まだあの人若いからしょうがない・・・もなければ、もうこの人年取っているからこの程度はいいか・・などという評価も甘えもなく、男だから・・・も、女だから・・・もない。プロとして、お金をもらう以上は、どんな仕事でも、年齢とは無関係にその目的に向き合わなくてはならない。その人その人の責任感にもよるけれど、誰のために、あるいは何のために、自分が何をするのか・・・というのがすべての仕事の出発点になる。

でもいくら年齢が関係ないといっても、若いときにしかできないことがある。

たとえば、これからフィギュアスケートを練習して、オリンピック選手になりたい・・・と思ったところで、私の場合はそれを夢とは呼ばない、“妄想”である。「生まれ変わったら、結婚しようね」ぐらい、叶わぬ悲しい夢である。先日、真央ちゃんのスケートを見ていたら、とても素敵で羨ましくて仕方がなかった。でも真央ちゃんがうらやましい・・と今頃思う私には、きっとまだ夢のエナジーが残っているに違いない(?)

つい先日、お台場に行ったときのことだった。何年間ものあいだ出張で、馬を追いかけて北海道や伊丹とかに行くとき、お台場は通過点だった。羽田空港に向かうレインボーブリッジを運転しながら、大きな観覧車を横目で見ては、あるいは飛行機の窓から見下ろしては、いつか恋をしたら、最後の恋人とは、そのてっぺんでキスしたい!!と夢みていた。先日仕事の延長で、お台場に連れて行ってもらったとき、その願望が呼び覚まされたか、私は「観覧車!!」と指差し、真っ先に駆け出したのだった・・・が

観覧車の中は「ボレロ」の音楽が流れ、カプセルはゆっくり上ってゆく、マジックアワーはとっくに過ぎていたけれど、東京の綺麗だったこと!!そろそろいちばんてっぺんかなあ・・・と思って向かい側の男性を見た。私はため息とともに、夢にまでみた“観覧車のキス”をアタマの中から排除せざるをえなかった。年齢こそばらばらだったが、戦いの最中仕事の重さが一気に現実に戻してくれた。目の前の2人は、男性には違いないが、戦友として出会った、恋人ではなく、仕事の絆を結ぶ相手だったのだ。

夢を繋ぐこともまた夢。観覧車のてっぺんで3人でみた夢は、同じだったような気がする。無言で何かを誓い合ったのだった。夢はひとりじゃみれない。いずれ3人が戦い抜いて繋ぐ美しい夢を、多くの人が見て、聴ける日が来るように、走るしかない!!


みえちゃん


“みえちゃん”のブログを見たら、私が先日みえちゃんに心をこめてプレゼントしたピンクのペンがすごく偉そうに、ピカピカに光っていた。あらま!ちゃっかりみえちゃんのものになっちゃって!私は思わず自分のものだったときは話しかけたこともないみえちゃんのブログに寝そべっていた、ピンクピカピカペンに話しかけた。そのピンクピカピカペンだが、実は自分が自分にプレゼントしたものだった。「よくがんばったね、毎日前向きで偉い!ピンクのペンを買ってあげよう」と自分を誉めてあげたのだ(なんだか超さびしい~話) ところが去年のクリスマスに久々にみえちゃんと食事をしたら、トルコ石みたいな水色の外装の見たこともない素敵なペンをプレゼントしてくれた。他の何を貰うより嬉しかった。「やっぱみほちゃん、書きなよ」言葉に出してこそ言わなかったけど、みえちゃんの気持ちがびっしり水色になって張り付いていた。毎日使いたいと思った。そこで、自分が自分に買ったピンクピカピカペンをみえちゃんに貰っていただくことにしたのだ。2本素敵なぺんはいらない。きっとけんかをするにきまって(ないけど)。でも、みえちゃんのブログで、それを見つけたときは、妙な気持ちになった。前よりピカピカに見えた。ピンクピカピカペンにも誰のものになるか選ぶ権利があったんだとしたら?よかったね、と言ってあげたかった。
 ところで、このところ毎日予測のできない人に会う。人と会って良いことばかり起こればいいけれど、なんだったの!?という出会いや別れもある。それでもいかに無駄なことを考えないかが、うまく生きていくコツらしい。馬鹿な考え休むに似たりとも言う。一人でどうしようもないことを考えるよりは、とにかく人に会うことだ、と日本を洗濯したかった坂本龍馬はそう思っていた。人間一人じゃ何もできないのだ。誰とどんなことがあったとしても、嘆いたり恨んだりしている暇はない。会いたい人と会うこと。今いちばん会いたいのが、辻井伸行さん、そしてイビョンホン。ちゃんと今日は水泳のレッスンをクリアしてから、その2人と会うことが可能かどうか、検証してみようと思う。


花より男子!?


ここ数年、入眠剤(正しくは睡眠導入剤、アメリカへの出張の長時間フライトのときは、愛用した)代わりに、息子からDVDを借りて、アタマをからっぽにして眠ることにしている。(眠れないときは、思い切りアタマを空っぽにするのが、お薦めである。)
さて、そのアタマを空っぽにするために、ついつい何度も見てしまうのが、「ハナダン」、こと「花より男子」。そこに流れている音楽に胸きゅんなのだ。安部元首相、中井貴一さん他」、みえちゃん、こうじ、けんちゃん、私の懐かしい成蹊大学のキャンパスが、F4と牧野つくしが通う英徳学園として出てくる。牧野つくしの「ありえないっつうの!!」が爽快である。(何度か真似してやってみたりした)道明寺司の、「日本語に強いも弱いもねえだろう!!」的ギャグ、「ねえちゃん悟りが開き直った」「悟りは開き直らないし」の掛け合いがかなりイケている。(聞くところによると、あれって、松潤のアドリブらしい)あとは花沢類!!私にも、彼のような存在がいたような、と昔を思い出す次第。でも、昨日15分だけ、と思って見ていたら、司のおねえちゃんが司に言ったセリフで、はっとなった。「あんたがしようとしてるのは、命がけの恋なんだからね」。命がけの恋をしておくべきだった、と思う。けんかが苦手な私は、同じその性格的な理由により、命がけの恋と呼べる恋はしていない。でも、ずっと仕事が命がけだから、しょうがないかもしれない。ハナダンに話を戻すと、うただひかるの「ありがとうといわれたら、なんだかせつない♪」がかかるタイミングのすばらしさ、あとだいじなときにバックに流れているメロディーがあまりにせつない♪のだ。祖母と父に愛された記憶が私の帰る場所なら、音楽漬けになっていた大学の4年間もまた帰る場所なのかもしれない。花男の牧野つくしは、微妙に自分自身だったりする。今からつくしみたいに弁護士にはなれないので、私はみえちゃんから去年のクリスマスにもらったペン一本と、ピアノ、あと乗馬マシンを隣に置いて、夢を奏でる人に戻る。おうちへ帰ろう・・・


魔王


生きていくのに、もっとも厄介で付き合いにくいのが、自分の中の怒りとか恐怖とか
そういったマイナス感情だと思う。(自動車免許の更新で違反の講習を受けたとき、その教官が言っていた。運転に最もマイナスと)何を作るのにも(お料理、本、歌すべて)何を判断するのにも、それらはマイナスなのを知っているので、最初はその感情をなんとか押さえようと努力する。それでもその感情は、一瞬気が散って忘れたとしても。放っといて自然消滅はしないので、天気が悪い日とか、運気が悪い日とかに、悶々とそれらと格闘することになる。自分の中で善と悪が戦ったら、それはたいへんな葛藤で、「魔王」(私が見たのは、韓国版)の題材でもあるダンテの神曲とか地獄門とか、どんどん重たい話にはいっていく。しかし現実が、そもそもそれらに振り回されることが多いのだ。2年くらい前「魔王」にはまって、まじめに共感していた自分は、今考えるすごく滑稽だ。一種の現実逃避だったのだろう。私の怒りは、この人たちが抱えている運命よりまだまし、軽めかな?とか思ってかわいそう比べをしていたのだ。
生きていくうえで最もたいせつなのが、忘れるということらしい。時が解決してくれる、とよくいう。そういえば2年前犬が死んで引き裂かれるほど悲しかった気持ちの中に、今いるわけではない。でもだったら幸せな記憶も一緒に忘れているのだろうか。それがどうもそうではなさそうだと最近気がついた。愛された記憶(祖母や父から)私が帰る場所がないとき辿り着く、安心できる居場所なのだとわかった。生きている意味なのだ。
現実と戦っていると、愛が足りなくなる。「描くことは、再び愛すること」だと、誰かの本の帯にあったが、名言だと思う。書くことも、再び愛することなのだ。現実と戦い続けるには、美味しい食事と、愛と癒しが絶対必要である。


ディープインパクト


近い将来(来週くらい!?)ディープインパクトに会いに行かなくちゃ、と思う。

ディープインパクトはいま、北海道早来の社台スタリオンステーションにいる。

これまで何度、馬たちに会いに北海道へ行き、何人の人をその場所に連れて行ったことか。

私が社台スタリオンで最も衝撃だったのは、ノーザンテーストとサンデーサイレンスに会ったときのことだった。私は彼らのレースを生で見たこともないし、現役で走っていたときの記憶がないにも関わらず、彼らが目の前で呼吸している、ただそれだけで、圧倒的なその存在感にぶちのめされた。

ノーザンテーストは、身体が若いころの半分くらいの大きさになるほどのおじいちゃんになっていたのだけれど、妙にパワフルで、愛おしかった。

サンデーサイレンスは、(馬を全然知らない人にどう、説明すればいいのだろう)。一言で言えば、日本の競馬を変えた馬である。故吉田善哉氏が、アメリカを口説きに口説いて、日本に連れてきた。種牡馬として君臨、その血をひくこどもたちが走りに走り、勝ちに勝った。そう、ディープインパクトの父である。サンデーサイレンスは放牧地にいて、200メートルくらい離れたところから、私はがんをつけられたのだ!!鋭い攻撃的な眼光、身体から放たれる黒光りするオーラ、私が見た生き物の中で、世界でいちばん(サファリを知らないで言うのは違うかもしれないが)、震え上がるほどの誇り高さに輝いていた。競馬場の馬たちの戦意を上回る気を発する生命体だと思った。 

 さて、ディープインパクトはどれだけ父の血をひいているのだろう。彼の競馬のレースでの幕は一度下りて、第二幕目、血を残す仕事は始まったばかり。私はハルウララを休養させた中で、当時ほとんど行かなくなっていた栗東トレセンに、なぜかディープインパクトだけには会いに行っている。ここだけの話、ディープはサンデーサイレンスとはちっとも似ていないと思った。(写真参照)

それで、“今“にどう繋がっているのか。私の方が知りたい。それはこんどゆっくり、ほんとうにこんどゆっくり、馬に聞いてみようと思う。人間の意志だけで、言葉をしゃべらない馬がどうにでもなる、と思ったら、それは人間の驕りなのだと思うのだ。それでも、自由を奪われている馬は、人が死ねといえば、死ぬしかないのだけれど。

 


カラスなぜなくの


カラスなぜ鳴くの?
1歳のときのことです。カラスなぜ鳴くの♪を祖母の背中で聴いたとき、(祖母が歌ったのです)私は急に泣き出したそうです。しゃくりあげている私に祖母は聞きました「みほこちゃん、おしっこ?」私は祖母にこう言いました。ちがうの!メロディーがかなしいの、と。その話を祖母は私の叔母連中に話し、こう言ったそうです「この子は天才かもしれないよ」もしかして、歌で私を泣かせた祖母が天才だったかもしれないとおもうのですが。そういえば、全く関係ありませんが、私の叔母の一人は正真正銘の歌手でした。(亡くなりましたが、きよこ叔母といいます)それはさておき、今から思えば、“かなしい”は悲しいじゃなくて哀しいという字で表現するのが妥当だと思います。「可愛い可愛いとカラスは鳴くよ、可愛い可愛いと泣くんだよ」この部分のいわゆる“サビ”のメロディーが、一歳の私を泣かしたのです。それが証拠に、カラスなぜ鳴くの?を今歌っても、この部分で泣きたくなります。「あたま、大丈夫かよ?」すぐ泣く私に、息子は突っ込みますが、それがちっとも大丈夫じゃないから、今さらそのことを書くのだと思います。その部分(感性)が他の友達と大きく違っていて、ずいぶん長きにわたって友達、親、周りの人に理解されず私は悩むことになります。
初等科3年のときでした、みんな(学年全部)で「汚れなき悪戯」という映画を観にいきました。とにかく感動して泣きたいのをがまんしてがまんして、最後、映画館が明るくなったら、こらえてたものが一気にあふれ出し、えんえん、どころかぎゃんぎゃん泣いてしまったのです。手のつけようがなくなった私を、理解してくれた友達はおろか、先生さえ誰一人・・・。私も泣くことがが止まらないことをどう言い訳、いえ表現していいのかわからず、ただ泣き続けるしかなかった・・・。先生はついに怒り出し、「何で泣いているの!?泣き止みなさい」優しくなく、言いました。(小公女セーラの院長先生みたい)そのとき、カラスの勝手でしょ?と、軽くとぼけることができたら、または、私は映画に感動して泣いてるんだから、怒らないで、わかってよ!!と、セーラのように言い返せたら、今もっと平凡で穏やかな人生を送っていたかもしれないと、非常に悔やまれます